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8th 911

 2009-09-11


あの911から8年も経つんですね。
当時は中3で、個別指導の塾から帰ってきたらニュースステーションでやってました。
最初は事故やと思ってて…。
でも2機目がぶつかって。
色んな情報が錯綜して、めっちゃ遠くの出来事やけど、何か怖かった覚えがあります。
このニュース動画でもキャンプデービットにつっこんだとか言うてて、ほんまにパニック状態ですね。

その前後の日に何したかなんて全然記憶ないけど、この日は覚えてる。
記憶ってそうやって紐着いて整理されてるものなんですね。


この事件の政治的な背景について述べるには、あまりに知識がないのでやめときます。(アメリカのアフガン派兵やイラク戦争含め)
ただ、高校の時にグラウンドゼロを見て、同じ人間がやったとは思えないなあと、なんかリアルではない感情を覚えました。
人が満載されてる飛行機で、多くの人が働くビルに突っ込む心理状態ってどんなだろうと。

心理的なマインドコントロールで、ここまでの大量殺人を可能にする背景。
そこにはきっと宗教という文化的な背景が利用されている。
今後会うことになる潜在的な敵について、劣った生命体であると思いこませるのである。これには、その敵を人間以下の存在と見せる偏見に満ちた映画を見せる。敵の慣習を愚劣なものとして嘲笑い、敵国の有名人を邪悪な半神と見せるのである。
ピーター・ワトスン「精神の戦争」より引用

アメリカの資本主義、キリスト教主義的な考えを蔑む対象として定着させることで、ターゲットであるアメリカ人と実行犯との心理的距離を稼ぐ施策がマインドコントロールという形でなされていたのでしょう。
同じような心理作用がアフガニスタンに派遣されたアメリカ兵にもあったかもしれない。

グローバルな人って、世界を知り、違いを受け入れ、その違いを活かして新しいものを作り出せる人。
言葉うんぬんじゃないと思う。
違いを知る事で、その違いを受け入れる事ができなければ、そこは文化的な憎悪が生まれる温床になってしまう。
やみくもに知るだけではなく、それをどう受け入れて共存、共栄していくのか。
世界が狭くなればそれで良いってわけでもないんよね。

ただ単に平和とか言うだけではなくて、1年に1度くらい、自分らの次代の世界をどうしたいか考えてみるのもいいかもしれないっすね。





Fahrenheit 9/11がGoogleVideoで全部見れるという。
凄い時代やなあ…。
アイルランド留学中に英語で見ただけなので、せっかくの機会やし見てみよう。
(著作権…。)

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綾瀬はるかの魅力を脳科学で証明してみる。

 2009-07-01


あんまり真面目な事ばっか書いてると、また友人から「ブログと現実のキャラが違いすぎ!」と遺憾なつっこみを受けてしまうので中和しときます。


あー。
綾瀬はるかって何でこんなにかわいいのだろうか?
かわいいだけでなくて、この人は凄く頭が良いのだと思う。

1:15あたりで、「言語が違うとフレッシュな気持ちで取材に臨めます」というお言葉がある。
さらっと笑いながら言うてますが、これ相当深いです。

インタビューは、自分の事をインタビュアーにいかに知ってもらうかが重要なコミュニケーションです。
つまりは、その時々の自分をしっかりと見つめた上で把握しておかないと、伝わらない。
僕も就職活動時に何十回もインタビューをこなすなかで、同じような質問に対しては模範解答的なものが知らず知らず出来上がってしまい、真摯にそのインタビュアーに向かい合っていたかは疑問です。
自己とは、あくまでも他者との関わりの中で形作られるものだから、その一つ一つにしっかりと向かい合って初めて自分と向かいあう事になる。
そういう意味で、何百回とインタビューを受ける彼女は、常に自分と向き合う事を続けているわけです。
綾瀬はるかのインタビューを見ていると、インタビュアーが同じ質問をしても違う表現で返すことが非常に多い事に気づきます。
自分以外の視点から常に自分を見つめているからこそできること。

これは心理学的にメタ認知といいます。
メタ認知を担当するのは前頭葉。
最近、脳科学にどっぷりな自分に大きな影響を与えている脳学者の茂木さんが良いことを言ってくれています。
メタ認知というか、気づきというか。これはアインシュタインが残した言葉ですけれど、「人間の価値はその人がどれくらい自分自身から解放されているかによって決まる」ということを言ってまして。
これは要するに、生まれたばかりの子どもというのは、自我に没入しているというか、自分の世界なわけですよね。徐々に他者から自分を客観的に見るという視点が出てくるわけですけれど、それにわれわれが言うメタ認知というのが、一番前頭葉を使うわけですよ。
たとえば自分がやるべき仕事はなにである、とかね。自分にとって、自分が見えている世界がどうだ、というだけじゃなくて、それが、他の人から見てどうなのかとか、他の国から見てどうなのか、他の文化から見てどうなのかということを常に問いかけるというのが、ぼくは一番、前頭葉を創造的な意味で使う行為なんだろうと思うんですよね。


つまり脳科学的にいうと綾瀬はるかはアインシュタインも認めるほど人間的価値が高いという事です。
さすがはるかたん。

茂木さんも指摘していますが、他の国の文化的視点からのメタ認知は最も前頭葉を使うそうです。
母国語だけではなく、他の言語でインタビューを受けるということ。
それは、日本語でなんとなく通じる、日本の常識を排した自分と向き合う作業であり、メタ認知の中でも非常にレベルの高いものにチャンレンジしているわけです。

そこで冒頭の「言語が違うとフレッシュな気持ちで取材に臨めます」というお言葉。
この難しいメタ認知を楽しんでいる綾瀬はるか。
インタビューを通してメタ認知を行い、感情をつかさどる前頭葉が発達しているからこそ、綾瀬はるかはあんなに魅力的なんです。

自己を形作る、自分に関わる他者が不特定多数に増える現代社会。
このような複雑な社会においては、自己をしっかりと認識できるクリエイティブな前頭葉を育てる事の重要性は今まで以上に高くなってきます。

断じて、顔がタイプとか、意外と巨乳だとか、天然だからとかそういう不純な動機で好きなわけではありません。
複雑な現代社会を生き抜くためのロールモデルとして綾瀬はるかが好きなことを理解して頂きたいと思います。


…。
この記事は大丈夫なのだろうか?w
真面目さとバカバカしさの絶妙な中間地点。
そんな場所でこれからも自分は楽しく生きていこう。

Better Place

 2009-01-25
オバマさんがグリーンニューディールなる政策で雇用を生み出す公約を打ち出している。
アメリカが国家プロジェクトとして、エコだったり石油以外の代替エネルギー分野に本格投資するとなれば、そういう業界が今以上盛り上がるのは必至。

就職活動をするうえで、その大局的な流れを読んで企業を選ぶ視点は必要だと思う。
そこで色々とRSSでひっかけて勉強してたわけですが、面白い企業を見つけたので紹介。

betterp
Better Place社。
アメリカのベンチャー企業。
まずは紹介VIDEOを見るのが早いかも。

色々とユニークな点がある。

・自動車自体を製造を主事業するわけではない。
→電気自動車本体やその電池開発に取り組むベンチャーは意外と多いそうな。けどこの会社は電気自動車を普及させるためのインフラに着目してる。実際自動車の製造に関しては、ルノー日産と提携済み。

・電気自動車を無料提供する。
→携帯電話と同じ。まずは無料で普及させて、そのランニングコスト(携帯の場合は通信費)で回収する。BP社の場合、バッテリー交換でコスト回収。
Drivers pay to access a network of charging spots and conveniently located battery exchange stations powered by renewable energy.
更に走行距離による支払オプションも用意されてるみたい。

・ベンチャーの域を超える提携網。
→フランス電力(EDF)とトヨタ、プジョー、ルノー日産間、ドイツのライン・ウェストファーレン電力(RWE)とダイムラー。イスラエル、デンマーク、オーストラリアの電気自動車インフラ網を抑える。既にイスラエルでは国家プロジェクトとして先行。

・代表が超大物。
Shai Agassi氏。世界的なソフトウェア会社SAPの元CEOで、オバマ政権の主要ポストに検討されたほどの人物。


ビデオとHPをみただけなので、詳しい事は良く分かりませんが、凄く壮大ですね。
これでまだ設立1年(2008年1月設立)

電気自動車の分野では、日本がリードしてるもんだと根拠なく信じ込んでましたが…。

インフラを抑えられて、それがデフェクトスタンダードになると、結局はおいしいとこ全部持ってかれるんでしょうねーああ遺憾です。
こういう国家レベルで取り組むべき大規模プロジェクトを担うような企業を1年程度で生み出すのがアメリカの凄さやね。


battex

switch station

こういうスイッチステーションが世界中にできるらしい。
充電するだけじゃなく、バッテリーごと自動交換してしまうという。すごい。
充電時間とその走行可能距離の短さがネックだったのに、それを全部解決してしまいますねー

それに自動車が無料か…。
決して安くないプリウスが普及し始めたから、「金を払ってもエコを推進するのは一種のステータス」みたいな議論も日本ではありますが、その10歩くらい先いってますね。
普及して初めて意味がある。
だったら無料の方がいいじゃん。
みたいな。
そしてそれを可能にするビジネスモデルを実際に構築してしまうんやから。

なんか悔しいなー
エコにそんなに興味ないけど、単純に凄く儲かりそう。
こういうのをほんまは日本企業がやらなアカンかったはずやのに…。

やっぱ一回アメリカで勉強してみたい。
何を?
知らんけど。
どっか留学させてくれる企業に入ろう。





サッカーから学ぶ職業観

 2009-01-18
現在、欧州のサッカーリーグでは移籍期間です。
今年はなんといってもカカのマンチェスターシティへの移籍問題が熱いです。

kaka

マンC、カカにサッカー史上最高額のオファーを提示

イタリアのメディアによると、オファーの額は1億ユーロ(約117億円)といわれている。ここ数カ月間厳しい財政を強いられているミランにとって、魅力的な数字であることは間違いない。

移籍が実現すれば、カカは週給22万ユーロ(約2600万円)を稼ぐ“世界ナンバーワンの高給取り”として、同郷の友人ロビーニョとともにプレーすることになる。


いやー117億の移籍金がミランに。
カカ本人にも年棒10億超。
マンCのオーナー何物なんでしょうね。アブダビユナイテッド。
なんでもそのリーダー、アルファヒム氏の個人資産額は、あのチェルシーのアブラモビッチ氏の約10倍だそうな。
って事は10兆とか…個人で…

こんな常軌を逸したオファーを受ければ当然。

ミランのオーナー、カカのマンC移籍を承認「『行くな』と言えない」
となってしまうわけです。
だって117億ですよ。
普通拒めないと思う。

けど、こういう現実離れした資本を持つクラブが、有名選手を買いあさるのってどうかと思う。
普通のクラブはスポンサー料、入場料、放映権料、っていうクラブの収入でやりくりしてるのに、そこにこういう天文学的な数字をちらつかせるチームがいるとバランス崩れますよね。
なんかロマンがない気がするし。
特にマンCはプレミアで中位以下のクラブ。
カカがプレイするクラブではないんじゃないかと思ってしまうわけです。

そういう僕の気持ちを代弁したのが彼。
to-resu
リバプールのFWトーレス「マンCがカカにとって理想のチームとは思えない」

以下彼の素晴らしいコメントを抜粋。

「カカがマンCでプレーしている姿は想像できない」と語るトーレスは、「金銭面より数多くのタイトルを獲得すること」が選手にとって大事である、と指摘している。
「(マンCとの契約が)申し分のない契約であることは事実だが、選手には金銭面よりもっと大事なことがある。サッカー選手なら誰でも、タイトルを獲って歴史に名を刻みたいと思うものだ。引退から10年後、過去を振り返って、自分の顔がどの写真にも写っていない、メダルもトロフィーもないという現実を想像してみればいい。そんなことは、無意味にサッカーを続けるのと同じことだ。たとえば、豪華な車、家を持っていたとする。でも、それにどんな意味がある? 友達よりいい条件の契約を結ぶことができたとしても、自分の過去を振り返って、『僕は誰よりも金を稼いだ』と自慢できる選手はいないだろう

いやー本当にそう思う。
別に俺はサッカー選手ではないけど。
同じプロとして何らかの職業につくなら、お金(もちろん大切な要素だけど)だけじゃなくて、そこに何らかの意味であったり意義を見出せる選択をしたいと思う。

『僕は誰よりも金を稼いだ』と自慢できる選手はいなくても、『僕は誰よりも金を稼いだ』と自慢するサラリーマンは意外と多い気がする。
そうならないようなキャリアを歩みたいなと思うわけです。

2008年のトップ5

 2008-12-28
年末ですねー今年の超個人的TOP5を紹介したいと思います。
(08年にリリースされたかどうかは不明?とりあえず自分が08年度に知った曲のTOP5)
どれも良い曲やと思うので、年末のお暇な時期のお供にどうぞ。



第5位: 踊れ/Micro

ドミニカ派遣の機内ラジオで流れてた曲。
なんか凄いポジティブだしかっこいいと思う。
ポニョとのデットヒートを制して、国内ランキング1位を獲得。


第4位:Strength In Numbers/The Music
http://jp.youtube.com/watch?v=omFWGBfVRo4
(埋め込み不可設定なのでリンクのみ)
年末に聞き始めて急上昇。
ビデオもかっこいいので是非見てみてー


第3位:Lock Up Your Daughters/Ripchord

今年前半からずーっと聞いてる1曲。
Ripchordってまだデビュー前らしいです。
早くアルバムでないかなー


第2位:Viva La Vida/Coldplay

まあ…なんというか。
悔しいけど、やっぱりかっこいいし何だかんだ良く聞いた。
去年まではアンチやったけど、本作から少しファンです。
ただ歌詞のスケールでかすぎて、まじで一切意味不明です。
オカンの着うた。50代にまで浸透してる稀有なロック。


第1位:The Shock Of The Lightning/oasis

ぶっちぎり。落雷。
歴代好きな曲ランキングでもTOP10には喰い込んできます。
かみーんかまーんとぅなーいです。

来年はついにOASIS来日ですね。
これにフジかサマソニにOASIS参戦なんて事になれば…。
いやー楽しみです。

テレビ神話崩壊

 2008-11-18
日本テレビ、テレビ東京の2社が赤字転落。4社減益
関西テレビ、開局初の営業赤字に 広告収入回復せず

いやーテレビ想像以上に厳しいっすね。
2011年に地デジ以降を持ってテレビ局は長期低迷時代に突入する可能性が高いっすね。
平均1500万とかもらえてる時代は確実に終わる。

同じように多チャンネル化してる欧米のTV局のビジネスモデルってどうなってるんだろう?視聴料だけでCMのロス分を回収できてるのかな?

リーマンショックの影響もさることながら、テレビの媒体としてのうまみが薄れつつあるなー
今はやりのクロスメディア(そもそも4マス衰退と同じ文脈で語られるべきではないけど)いうても、クロスする先は未だに大抵テレビなのがほとんどなのに…。
まだまだ悪くなりそう。

テレビ局の収入の90%はCM収入。
代理店に20%弱、製作費等に30%ほど投入(下請けならさらに低い?)しても50%はテレビ局に入るぼろいシステム。
要はテレビ(特に民放)なんてCMとCMの間を埋めるだけの存在なんすからね。



テレビ局がピンチなら、当然代理店も減収は逃れられないわけで…。
電通と博報堂、共に減収減益 9月中間

メーカーも経営が苦しくなって、まっさきに削減の対象になるのは広告宣伝費。
年間1000億とも言われるTOYOTAの広告費も来年は3割減になるそうです。
ちなみにTOYOTAは某D通のクライントなので…単純にTOYOTAだけでD通が50億くらい損する計算…。

ほんま過渡期ですねー

代理店はいうたら既得権益である媒体取引で利益を得ていた時代から、やはりコミュニケーション特化のコンサル企業という立ち位置にシフトしていくのではないでしょうか?

だとしたら余計に魅力的だったりするのですが。
つぶしきくしね。



うーん。
今の広告会社を見つつ、10年後も考えて自分がどう利益を生み出せるのか考えよう。

変化が多すぎる?

 2008-11-10
2008年の博報堂調査によると「今の世の中は変化が多すぎる」と感じる人は59.8%もいるそうです。

変化をポジティブにとらえられない人が過半数…。

変化がなくなれば安定が訪れる?
絶対違う。そこには後退しかないと思ってる。
+の変化以外は全部後退なんだから、とにかく変化を許容していくしかないはず。


あえて別の見方をするなら…

情報爆発

この表からも分かるように、選択可能情報と消費可能情報のかい離進行している。
10年くらい前までは、身の回りの情報を残らず消費できたから、変化にも対応でき、その変化をポジティブに捉える事ができたって仮説は成り立たないかな?

これに対して近年では、ITの発達によって選択可能情報、つまりは流通してる情報の量が多くなりすぎて、変化を把握できず恐怖を覚えてると。
人間の情報処理能力はそんなに進化しないしね。

変化のスピードも確かに早くなったかもしれないけど、それを把握できるか否かで感情は大きく左右されるだろう。

うーん。
俺は変化を悲観するのでなく、マイナスの変化も受け止めながら、常に変化を生み出す側にいたいと思う。




他に興味深いのは…
「安定した暮らしがほしい」生活者は、10年間で過去“最高”44.2%
「日本の高い教育水準を誇れる」生活者は、10年間で過去“最低”19.8%


もともと女性の方が安定志向だったようだけど、その傾向はさらに拡大してるなー
しかもこれはリーマンショック以前に行われた調査結果だから、リアルタイムで同じ調査をすれば更に変化アレルギーによる安定欲求が進行しているでしょう。

そしてその女性が担う事が多い子供の教育。
安定を求める欲求を子供に転嫁したいが、教育には期待できない。だから塾か。

グラビアとエ○本の境界線

 2008-10-12
深夜番組で衝撃的な画像が紹介されていたので記事追加。

芸人オススメのグラビアアイドルをプレゼンするみたいな企画で出てきたのが

岡田真由香


…。
いやいやいやいや!

これが姉妹とか、Jカップとか、二人合わせてバスト2m越えとか。

そういう事じゃなくて。


これはもはやグラビアじゃなくてエ○本やろ!!
少なくとも俺が中学くらいの時に喜んでみてたグラビアとはレベルが違います。
もはや可愛げがないじゃないっすか↓

非常に遺憾です。
日本のカルチャーは間違ってます。

グラビアってもっとこう、中学生くらいが安心して見れるものであるべきです。
いやー時代は進化してますね。乱れ切ってます。

こんなんやからSEX AND THE CITYみたいなアメリカの下品なコメディードラマが女子大生の間で流行ったりするんですよ。
ああ、遺憾です。


このテーマで語りだすと2,3時間は軽くいけるんですが、こんな時間に一人でこんなものを熱く語ってること自体かなーり遺憾なのでこの辺でやめときます。

おやすみなさい。

ヤミ金融イジメ

 2008-07-19
極論ですが、今はこんな考えする浮かびます。
今書いてる破産法のレポートのせいだ。
言葉のまま意味を取ると危ない人みたいなので、一応ことわっときますけど。

レポート3000字のうち、ひたすら半分くらいはヤミ金融の問題点指摘に費やしました。グレーゾーン金利との兼ね合いって論点は我ながら面白かったと思う。
グレーゾーン金利が撤廃されるとヤミ金融が横行するっていう。もともと彼らはグレーゾーンとかかわいい金利帯で生きてませんからね。いわば無限のブラックホール金利。

ロジック的には
(グレーゾーン撤廃⇒グレーな業者が金貸せなくなる、又は審査厳格化⇒『合法』貸金業は体力のある大手中心に⇒大手の基準に届かない弱者は⇒ヤミ金融横行)
って考えですかね?

だからこそ両者の対策は並行して行うべきであると。
ヤミ金つぶしてからじゃないとグレーゾーン撤廃は危険かなーと思います。ま、レポートには全く関係ない論点やけどね。
いやーこの問題って知れば知るほど根が深いね。

だからこそ↓の判決の意義が大きいのか。


最高裁平成20年6月10日判決(最高裁HP)
(1)反倫理的行為に該当する不法行為の被害者が、これによって損害を被るとともに当該反倫理的行為に係る給付を受けて利益を得た場合には、同利益については、加害者からの不当利得返還請求が許されないだけでなく、被害者からの不法行為に基づく損害賠償請求において損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として被害者の損害額から控除することも、民法708条の趣旨に反するものとして許されない。

(2)ヤミ金業者が被害者に交付した元本について損益相殺等の対象として損害額から控除することは許されないとして、差額説の2審・高松高裁判決を破棄・差し戻した判例。




よくよく考えると、本判決を逆に悪用すれば『あえて』ヤミから金かりて、損害賠償請求を提起すれば、利息だけでなく元本まで損害額に算定されるんやから、実は丸儲けなのでは?

もちろん、自分が善意(法的にね)である事が大前提やけども。




これって若干理不尽な気がするのは僕だけでしょうか?
ヤミ金融を擁護するつもりはないけど、ヤミ金融を必要とする人がいて、その必要に応えるにはあの法外な金利でしか営業ができないのも事実でしょう。それだけリスクのある業種だし。

契約内容を偽るのは論外。ただ何万%だろがそれに合意したのなら…。すくなくとも元本まで補償する必要があるのだろうか。もちろんヤミ金に対する抑止力としては効果的だけど。

いくらなんでも不公平では。






必要として否応なしにヤミ金を使う人がいるのだから、これを完全に社会悪として排除するのであれば、国が貸せよ。低金利で。できないだろうけど。

別にヤミ金を守れーってわけではなくて。

ヤミ金融がなくなり、グレーゾーンが撤廃され、大手消費者金融しか残らなくなった場合、そこで金を借りられない人はどうするのか。
そこがあんまり見えてこなかったからしっくりこないだけ。
司法判断が若干感情的すぎるかなと率直に感じた。



日本もグラミン型マイクロファイナンスでもしてみますか。
困ってる人5人で連帯して貸すとか。
めちゃめちゃやな。

ただこの展開及びその対策には結構大きなビジネスチャンスが隠れてる気がする。
ちょっと考えてみよう。





破産法のレポートでこんな妄想ばかりが頭を占めてしまし、教授が求めてる『ヤミ金融=悪』のレポートが進まない自分はやはりもう法学部の人間じゃないな。

だいたいこのレポートやって
①ヤミ金の『問題点』指摘
②最高裁判決の『意義』

とすでに、『ヤミ金を批判し、判例をたたえる』っていう図式を提示されたうえでのレポート指示。

個人の考えなんか微塵も反映できないやん。何が読みたいんだろう。だったらテスト一本にすればいいのに。

あーしょーもない。
絶対Aとってやる。ほんで法律の単位は今学期で満たすからお別れや。

勉強しよ。

大阪府知事選

 2007-12-07
兵庫県民ではあるものの、中高と大阪に通った身としては非常に気になります。

新聞紙上では、島田紳介、橋本弁護士、きよし師匠、とタレント候補が連日紙面をにぎわせています。


きよし師匠は国会議員の実績もあるし、彼の「小さなことからコツコツと」という姿勢は大好きです。もしタレントであることが大阪府知事の条件であるなら僕はきよし師匠がいいです。けど今の大阪に必要なのはタレント候補じゃない。

タレント候補が本当に必要なのはいわゆる都市圏以外の都道府県でしょう。例えば宮崎。
宮崎は祖父の田舎で中学生くらいまでは毎年夏休みは宮崎で過ごしていたこともあり、身近な存在でした。
宮崎の場合、観光資源(日本有数のゴルフコース、リゾート施設)や特産品(地鶏、宮崎牛、焼酎)にもともと恵まれており、宮崎の活性化を観光に委ねるだけの観光ポテンシャルを持っていました。
となると必要なのはPR活動における認知度向上。最近、都道府県の観光CMなんてのもあるみたいですが、僕はまさに東国原知事の就任は壮大なCMであると感じています。
タレントである彼の一挙手一投足がメディアで伝えられ、それが毎日のワイドショーで流されれば、CMの何倍もの宣伝効果があるはずです。これだけでも彼が宮崎県知事になった価値がある。彼もその辺りは感じるようで「宮崎のセールスマン」と自らを定義しています。
近年のタレント候補の代表的な例だと思います。宮崎の1000億を超える債務超過を解決する能力があるとは思いませんが…。というかそんな人がいるのかも謎。


しかしながら、大阪はすでに認知度が高く、吉本の存在等からお笑いの街としてイメージは悪くないようです(犯罪が多いとかは抜きにして)。
となると、タレントが知事になり、更に大阪をイメージ先行型の府にするよりは、イメージに実態を追いつかせる事の出来る、プロの政治家が必要とされていると思います。

つまり…
宮崎:都道府県価値>イメージ →過小評価型
 都道府県価値が高いのにイメージが追いついていかない状況はいわば、株価が適正価格より低い企業のようなものです。この場合、企業のPR活動というのが課題になるはずです。都道府県(企業)のイメージ(株価)を上げることが、ガバナンスを機能させる際の大前提となります。

大阪:都道府県価値<イメージ →過大評価型
 都道府県価値に比べイメージばかり先行している状況はいわば、株価が適性範囲を超えて高沸している企業のようなものです。この場合、いつ株価が適性範囲まで暴落しても不思議ではありません。株価(イメージ)というのは将来的な成長ポテンシャルまでを考慮に入れた値であるが、そもそもそのポテンシャルが過大評価されている場合は経営者(知事)は早急に企業価値(都道府県価値)を高める必要があります。企業価値とはすなわち株主価値。府にとって株主とは府民。つまり府は箱物への支出を減らし、府民への適切な還元の必要があるはずです。オリンピックやサミットより府民が安心して暮らせるインフラ整備を。
これは非常に高度の財政政策への知識と経験、更にはバランス感覚が求められるタスクです。タレントが「小さな事からコツコツと、府民に優しい大阪に」とか言うだけではダメです。財政状況やニュースを見る限り、腐りきった大阪府でこのようなタスクを達成するには、数字で具体的に目標設定ができ、その目標にむかう道筋をロジカルに示せる人材がトップに立つしかありません。

具体的に誰が適任か?それは分かりませんが、少なくともタレントではないはず。イメージで言うなら大学教授(専門家)から国会議員に転進し財政政策実務に携わってきたような理論派。同じ理論派でも官僚出身は不向き、そもそも大阪府にも官僚形腐敗が進んでいるので、タレント候補より更に不適格。
もしくは実績のある経営者とかね。吉本の社長とかゴーンさんとか(笑)
欲を言えば大阪特有のユーモアがある人物。ルーツが大阪にあればなお良い。



そんな人物がいるのかまで調べる時間がないですが、こういう人選がベストだと思っています。大阪がより魅力的になるように願ってます。

大学模擬店流マーケティング論

 2007-10-21
サークルで模擬店を出店します。

今回は責任者ではないのでゆっくり学園祭を楽しもうと思っています。

とはいえ、やっぱり赤字になるとサークルとしても痛い。

模擬店とはいえ、実際にお金を伴う商行為を行う事業の設立から運営までを実体験できる機会なんてそうないし、ここは何らかの形で参加せねばと思い。

とりあえず今回は広告の側面から何らかの戦略を練り、会議に提出すことにしました。

さっそく広告論の小難しい本を数冊、先週から読んだんですが…。

わからん。完全に専門書チョイスだったようです。

わからんとか書いたので、あえて書名等は伏せますが筆者は広告業界トップの某○通で伝説的な広告戦略を実践し結果を残し、さらに研究職につき理論においても広告の世界では権威になっているようです。


学園祭レベルで某○通やら某○報堂クラスの理論武装はいらんやろし、一朝一夕で身につくものじゃないね。




そこで。やっぱり所詮大学生が主なターゲットなのだから、所詮大学生の俺目線で広告を分析してみました。

やり方としては普段の買い物の際に少し広告という視点をプラスしただけやけどね。



以下結果。
①限定に弱い。
:これはよく言われてますね。『日本人は限定に弱い』と。僕も名刺入れを探してセレクトショップに行ったときに店員のお姉さんが「これは家の店がイタリアの革ブランドに別注かけた限定物です。」ってススメテくれました。5割増しで魅力的に感じました。というか気づいたのですがこのセリフ、実は中身ないんです。限定物って数が限定ってことですよね?何個限定とか分かりません。20個かもやし、2000個かもやし、2万個限定かも。なのにここまで効果があるというのは広告マジックですね~。

②実際の値段をはっきり明記しない。
:これはドンキで発見したのですが、『大特価割引中!!1980円!!!』と表示し、すぐ下に『レジにて更に2割引』とありました。魅力的ですよね。ちなみに商品はサボテンです。
通常、サボテンや模擬店の商品は日ごろあまり買わないので、お客さんは相場を読みづらいですよね。そういった商品の場合はまず、値段を提示(すでに割引済であることもアピール)したうえで更に割引率をアピールします。
サボテンの場合1980円の2割引ですから1584円です。『大特価割引中!!1584円!!!』と最初から提示してしまうとお客さんとしては「まあサボテンやし、そんなもんか。」となります。
しかし例のように、『大特価割引中!!1980円!!!』『レジにて更に2割引』と連続して広告を打つことで「1980円の2割引…っていくらか分からんけど安いねんな~お買い得かも」となりません?
キーワードは『更に』です。これは広告論の本でも書いていましたが、消費者は昨今の割引には慣れていて単純な割引によるマーケティング戦略というのは成り立たないようです。でも『更に』といれることで新鮮味が復活する可能性があるんだと思います。



以上①限定に弱い。 ②実際の値段をはっきり明記しない。 を学園祭の模擬店で反映させるなら。


まず、適当に限定200個とか決める。(この際、材料にこだわり手作りの為など理由も明記すると効果アップ?)

次にカゴに入れて売り歩く際には、『既に割引中で250円なんやけど更に2割引きします』という。ここでお買い得感を出せる。

っていう反映のさせ方かな。





…結局、こういう定番の営業文句になるんやね。

やっぱ自分が思いつく程度の戦略は既にあるかwというかそもそも着想が他店の戦略からやからダメダメやわ。

もうちょい独特な言い回しで宣伝できる方法を考えよう。心理学的アプローチも楽しそうやなー本さがそ。

ブロードうぇーい

 2007-10-19
昨晩、某ニュース23を見ていたら気になるニュースが。


最近、高校の文化祭で上演する演劇に著作権上の許諾を求める動きがあって、許諾がとれないために上演できないケースが続出しているというもの。

ニュースでは2年前の都立高校の例が紹介されていました。許諾を求めたのは、ブロードウェイ・ミュージカルの著作権を管理する会社で、アメリカ側からの要請だと。この人の意見では、同一性保持権の侵害だとの主張。

「学校だからなにをやってもいいというわけではない。すくなくとも十数万円は必要。払えないなら他人のものだからあきらめてもらうしかない」 と、インタビューで答えていました。まあ正論。

某ニュース23の論調としては「高校生からお金とるなんて嫌な時代ですねー」と感じさせるものでした。




少し整理すると。

著作権法上は入場無料で教育目的の文化祭での上演には許諾不要と解釈しうる条文が存在します。

ただこの条文が予期する所、それは単純に、教育目的であり営利活動を一切行わない場合には、著作権侵害にあたらないというものです。

ただし、これが、文化祭のような行事の一企画になると解釈が異なるようです。

演劇を見に来た人は、文化祭の他の企画で、飲食物や商品の購入などをすることが考えられます。つまり、学校全体としてみれば、演劇上映によって利益を得ることが出来るわけです。このような場合には、客寄せ、営利活動の一環と見なされ、著作権料の支払いが必要となるというのが、一般的な解釈だそうです。

屁理屈っぽいけどこれが著作権法です。

こうなると、事実上、どのような演劇の上映も、著作権料の支払い対象となると考えることが出来てしまいます。(完全に授業中に生徒だけの参加及び観覧を認めた上演なら例外)

そして実際、前述のニュースのようなケースで訴訟へと突入すれば勝てる見込みは0でしょうね。ってか弁護士に止められるか。争う余地なして。

今回の場合は、対象がブロードウェイですし。きっとものすごく多くのコストをかけて作っているものですから、日本国内の上演契約もかなりシビアなものになっているでしょう。

高校生の上演を黙認したということが問題になれば直ちに契約の破棄、最悪の場合訴訟もありえるケースです。上演ライセンスを管理するというのはそういうリスクもあるはず。だから高校といえど甘い対応はできないんでしょうね。





けど法律も、その解釈も、現実に応じて変化するものだし、そうあるべきだと思いますね。

こうした文化活動の援助のためには、もっと、制限を緩めても良いのではないかという考え方もあると思いますが、いろいろな立場の人の意見があって、簡単に意見の一致を見ることは難しいようです。

うーん。おもしろい問題やね。継続して考えていきたいです。

Radioheadの新譜 『In Rainbow』に見るビジネスモデル

 2007-10-17
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UKロックファンならご存知かもしれませんが、UKロックの大御所Radioheadの新譜がネット上のみで公開されている。最近はネットリリースは我らがoasisも行うなど盛んだし、それ自体は驚くことではない。

しかしリリース方法がRadioheadらしくすごく斬新です。バンドは前作で大手レーベル(EMI)との契約を満了し、今回はレーベルを通さず、オフィシャル・サイト(Radiohead.comから自動的にInrainbows.comへ移動する)のみで販売している。

更に更に。ここが最大の特徴なんですが、価格がいわゆる『言い値』になってます。
ごちゃごちゃせつめいするより実際にInrainbows.comにいってもらうと分かると思うけど、購入画面の価格の箇所が空白になっており、好きな数字を入れられるようになっている。
空欄の横にある“?マーク”をクリックすると“It's Up To You”とお洒落なメッセージ。試しに0.0。つまり0円を入力したが全く問題なくDLできてしまった。





後のリサーチによると『In Rainbows』が初日だけで120万枚のセールスを上げたとされる。

更に3,000人以上が参加したGigwise.comの世論調査によると、同アルバムの平均購入価格は4ポンド(約1000円?)だったらしい。

この2つのデータを元に推測すると、『In Rainbows』は初日だけでおよそ12億円のセールスを上げたことになる。初日だけで。時給5000万。



CDセールス≠バンドの収入。

これが従来の音楽業界の常識。なぜならレーベル契約によりバンドの取り分は5~20%ほどに制限されるのが普通だそうだからです。

まあCDを売ると簡単に言っても、プロモーション、流通、小売店等、様々な中間コストが発生しておりこれは当然のことです。

もともと音楽やプログラム等の知的財産は一度開発してしまえば後は低コストで大量生産が可能である。その分ヒットすれば利幅が大きい業種だといえる。(ヒットするのが難しいのだが)



ただ今回の試みではバンドが直接ファンにダウンロードさせる形式をとる事で一切の中間コストを排除している。低コストどころか無コスト。

つまり

CDセールス=バンドの収入。

という従来では不可能だったビジネスモデルを確立した事になる。


この新しい手法により、1日で彼らは12億を手にしたと推測される。

従来の場合、契約が売上の20%を取り分と設定していたとすると、12億稼ぐのに何枚のCDを売る必要があるか?

60億の売上を上げる必要があるため1枚2000円と仮定した場合、300万枚のセールスが必要になる。

300万枚。この数字はどう考えても1日で売り上げられる数字ではない。




つまりこの新しい手法は従来に比べ、アーティスト側に金銭的に多くのメリットを生み出していると言える。

個人的には、CDを発売日に並ぶあの感覚が失われたとか、パソコンないと曲聞けないじゃんとか。ツッコミどころはあるのだが。

とにかくアーティスト側から見ればノーリスクハイリターンの夢のようなビジネスモデルである。

今回、Radioheadがこの手法で成功した事を受け、多くのアーティストがこの流れを追随してもおかしくないだろう。






この流れは音楽にかぎらず、書籍等のその他のメディアに波及することも考えられる。

こうなると、知的財産が無料で手にできるという事実上のパブリックドメインにおかれるのだから、大きな目で見れば世界全体の文化に重要な変化をもたらす可能性もあると個人的には思う。




ちょっと大げさに書いたけれどもとにかく、Radioheadの試みは21世紀型の知的財産ビジネスの新たなモデルとして大きな意味を持つことは間違いないだろう。

日本における真の国際人とは

 2007-10-15
大学に入ってから自分の文章力の無さを痛感する。他学部に比べ法学部はレポートを書くことをほとんど求められていないため自発的に磨かないとマズイ。このブログにはそういう意味での訓練という側面もある。


まずは自分を戒める意味で高校時代の作文を紹介したい。あれから2年。この作文以上のものを書く自信がないのが痛い…。まずはこのレベルまで自分を戻そう。


これは同志社の国際交流エッセイに応募した作文です。


                     『21世紀の日本における真の国際人とは』 

 最近、TVや新聞では連日のように国際化の必要性が問われ、その波に流されるように多くの学校が英語教育に特化したり国際科なるものを新設したり、そして多くの親たちが自分の子供を早い段階で「とにかく海外へ」という安直ではあるが切実な願いの基に留学やホームステイ等、形は違えど海外へと送り出している。私も幼いころから海外志向の強い両親の影響で幼いころから英語教室に通ったり、毎年のように海外旅行に連れて行ってもらったりといった幸運に恵まれていた。その後も英語教育に強いとされているこの同志社香里に入学し、中学時代にはアメリカに1ヶ月のホームステイ、高校では国際科に籍を置き1年生でフィリピンへボランティア活動、三年時には幼いころから意識していた留学もさせてもらっている。そういう意味では私は他の同年代の人と比べて国際交流の経験は確かに豊富ではあるだろう。その分、自分は国際人として将来海外に出て行くという漠然としたイメージは持っていたし、期待もされていただろう。だが1年間の留学生活を通して強く感じた疑問は、私を含む日本人が描いている国際人像と、それを目指す上でのプロセス(具体的には、文部科学省が中心になり進めている小学校における早期の英語教育等が挙げられる)が、本当に正しいのかというものである。
 この疑問に対して考えるまえにまずは、はっきりと国際人という言葉を理解する必要があるだろう。広辞苑によると「広く世界的に活躍しているひと」と定義されている。非常に曖昧な印象を受けるのは私だけだろうか?日本語の根幹を成す広辞苑ですら、この言葉が指すものを明確には定義できていないと思えてならない。個人的な見解はでないが、おそらく世界や諸国家など広く外の世界を指す「国際」に生きる「人」であるから、国際+人=国際人、といういかにも日本語的な処理が行われた事は想像に難くないだろう。ちなみに英語には「国際人」を直接的に指す単語は存在しない。強いて挙げるなら”cosmopolitan”という地球人や世界主義があるものの、これを世界的な視野を持ち考えられる人間と解釈すれば、前述の広辞苑の定義とは大きく性格の異なるものになってしまう。つまり国際人や国際化といった言葉の全てに図々しくもついてまわる「国際」という単語が、17世紀から19世紀中頃までの鎖国によって国際感覚を失くしてしまった日本人が作り上げた、何の定義すら持たないただの概念に過ぎないのではないだろうか?
 はっきりと確立された定義をも持たない、しかも人によって解釈の異なる様な不安定な言葉を目標にして作り上げたシステムはやはり極論として、見かけや聞こえは良くても中身カラッポという事になってもおかしくはないし、私は現実として今の日本にそのような危機感を感じている。とは言っても、私は海外志向から派生する英語教育や留学や語学研修の様なプログラムといった一連の方針について全否定したい訳では決してない。実際に自分が通ってきた道である分、他の人よりそれらが持つ重要性や与えてくれた影響は理解しているつもりだ。私がここで問題にしたいのは、本当にそれらの「外へ外へ」というスタンスだけで良いのか、という事である。
 では国際人になるために、具体的に日本人はどうすれば良いのかという問いに対する私の答えは一見矛盾しているようだが、自らの文化、ここでは日本文化を改めてしっかりと見つめなおす事にあると私は考えている。真の国際人とは、自分の文化とアイデンティティーを明確に把握し、それを違った文化圏に住む人に常に提示できる状態にある人の事を指すのではないだろうか。それができて初めて、相手の文化と、それに基づき形成された相手の生き方と考え方が理解でき、そうなって初めて本当の意味での相互理解が可能になるはずである。
分かり易い例を挙げよう。間違い探しは2つの明確なビジョンがあるという前提の基、それらを理解し見比べることで違いを認識するゲームである。それ故、当然だがどちらか一方が欠けてしまえば成立しない。つまり基準となる絵がない以上は他にどんな絵をみても違いは見えない。多くの日本人はこの絵を持たないか、もしくは持っていても自分自身でどんな絵か見えない状態にあると思われる。自分が自信を持って判断の基準としうる絵がないために、何を見ても違いに気づかないか、自分勝手な思い込みしか見えない。同時に、相手に見せる絵もない。ゲームとして永遠に成立しない状態だ。
 言うまでもないが、ここでの絵とは自分、もしくは文化である。つまり自分も知らない自分や文化を相手に、自分を通して伝える事は不可能である事が容易に理解できるだろう。だからこそ闇雲に外国で多くの“絵”を見てくれば、それだけで国際人になれるという考えは根本的に間違っていると言わざるを得ない。外に出て何かを得て、相手にもなんらかの影響を与えようとするのなら、自らの内なる文化に対してある程度の理解は不可欠なのである。
 私も含めてだが、自分のルーツであるはずの日本文化に対してあまりにも無知である人ほど、日本という国自体にも愛着がなく早く海外に出たがる傾向にあるのではないか?「日本ではもう何も学ぶ事がないから、早く海外に出ないと自分の可能性が無駄になる」という考え方だ。私も留学前までは正直、そういう自惚れの持ち主であった。しかし、実際に海外での生活をスタートさせてみると、自分が留学先の人に対して伝えられることがあまりにも少ないことに気がついた。「日本の侍はなぜみんな同じ髪型なの?」、「日本のイラク戦争に対する基本的なスタンスは?」などと問われても即座に明確な答えを彼らに対して提示できない事に悔しさを感じたと同時に、たった1年で相手の全てを知ろうと考えていた事が恥ずかしくもあった。自国の文化も知らない人間が海外に少し行ったぐらいで得うる物は、せいぜいガイドブックや文献を調べれば見つかる程度のものだろう。そんなものを日本に持ち帰っても何の役にも立たないはずだ。かなり極論かもしれないが私には、それが現実である気がしてならない。留学の成果として、英語が話せるようになったとか、友達がたくさんできた、とかいうレベルの話をしているのではない。そういう要素も国際人には必要かもしれないが、それは条件であっても本質にはならないだろう。
 その事に早い段階で気づき方向修正できた私はラッキーだったと強く思う。以後、私は他の国の文化を知ろうとする場合にまず、日本におけるそれについて調べるか考えることを自分に課した。それによって一つの事柄に対する見方が大きく広がりを見せたのは言うまでもない。そういう観点に立てば、留学などのプログラムは素晴らしいものだろうと断言できる。他国の文化に対して直接触れるのと同時に、他国から見た日本とその文化も感じられるからである。このような機会は日本でどれだけ語学をしようが、国際科で勉強しようが簡単にあたえられるものではない。自国の文化を客観的に見て知る事は、それほど難しいのであろう。日本のように島国であるが故に、他国の存在を感じにくい国であれば尚更だ。
 実際に日本から出て分かったことだが、外から見る日本という国は世界から見て、除々に孤立している気がしてならない。日本と本当に友好関係に在る国はどこだろうか?アメリカはどうだろう?いやアメリカから見た日本は外交戦略上有力な同盟国ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない。次にあがるのは中国だろう。歴史上、最も日本文化に深く影響を与えた国であるのは間違いないだろう。だが昨今の反日運動をみていても明らかなように、中国を含むアジア全域からの反日感情は未だに我々が思っていた以上に根強いようである。加えてヨーロッパにおけるEUのように国家間の利害関係を超える枠組みによって守られているわけでもない。今の日本からもし経済力という力が無くなった場合には、やはり日本は世界から見放され、取り残されるのだろう。それは資源や食料のほとんどを自給できず、海外からの輸入に依存している日本にとっては絶望を意味する。日本という国は極東の小さな島に過ぎず、一人ではなにもできない以上、他国と共存こそが唯一の道なのではないか?250年もの間、強固に自立していた江戸幕府がペリー来航に始まり、一気に崩れた事からもそれは明らかだ。日本にはやはり国際化が必要不可欠で、そこに暮らす我々日本人もやはり国際人である必要があるのだろう。表面ではなく異文化の本質を見極めたうえで、それらを日本文化に還元し、より魅力的な文化を作り世界に対して提示する。これには相手の真似をするのではなく、強いて一言で表すのであれば「文化の融合」となるだろうか。
 これを実現するためには前述したように、自分を再認識する必要があるが、それを蔑ろにした教育システムが主流なのは事実である。だが全ての日本人にそれが成しえない訳では決してない。現在でも歌舞伎や能に代表される洗練された日本文化は世界中から尊敬されているだろうし、それを伝える人も同様だ。したがって問題なのは、個人や小規模な集団単位ではそれが有効だと確認され保護されているにも関わらず、国家という大規模になると隅に置かれて、教育システムの核に組み込んで国の指導原理とは成りえない点にあるのではないか?
 今、日本は戦後の脇目もふらない効率主義による、独りよがりの歩みを止めて、後ろを振り返るべき時期に差し掛かっているはずだ。そしてそれを理解し実行できる人間こそが真の国際人であり、無計画に外に出る必要はそれほどないだろう。そういった人材を積極的に育成、そして活用するシステムなしには日本の国際化は成し得ない。





という事で。この作文で自分のスタンスを一度アウトプットし整理できたことが今の国際交流活動につながってるんでしょうね。

いつか同じテーマでもう1度エッセイを書きたいな。きっと違うものができるはずやし。
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プロフィール

KK

Author:KK
自称「日本最高」のマーケター(身長的に)。
2010年より外資系メーカーに勤務しております。
将来の夢はリアム(写真)になって、そしてカリブに海の家!!

日々の生活、マーケティング、広告、音楽、海外ニュース、とにかくアンテナにひっかったもんに対してつっこんでいこうと思います。

※あくまで個人のネタ帳であり、所属企業・団体等とは関係ありません。



こちらにはアイディアの種を撒き散らしてます。

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