ストレートに響くJ−POP
2008-10-30
最近日本の歌を良く聞きます。移動中はもっぱら宇多田ヒカルとB’zなんかを聞いております。(まあOASISは別格ですが)
それくらいでやめときゃいいのに、youtubeという便利なテクノロジーがある昨今。
J−POPあさりをしてしまいます。
Truth/嵐
なんかコンビニとかでたまーに耳にしてた曲。
まさかのジャニーズですか…。
らしくなくていいなーと単純に思ってしまった。
ちょっと調べてみると、やっぱりというか元テクノ系のDJが作詞作曲でした。
この曲だから良いのか、それとも歌い手が嵐だからこの曲が成立するのか?
もしこれをロックバンドが歌うと昔はやったビジュアル系のにおいがしてしまいますしねーシャズナみたいな。
サマソニでColdplayが世界に一つだけの花を歌ってましたが、全然はまらないですもんね。あれはSMAPだから良いのか。
虹/Aqua Times
これはドミニカからの帰りの飛行機の機内オーディオで流れてた曲。
当時プレイヤーを紛失してたんで久々に音楽をじっくり聞きました。
日本語に飢えてたのもあって歌詞もちゃんと聞いてたら感情移入してしまいました。
そう。
僕がJ−POPを聞いてしまう時は精神的に何らかの弱さや不安を抱えてる事が多い気がします。
こういう時って歌詞が完全に分かり感情移入しやすい邦楽に依存するようになるんだと思います。
だからこそ今は危険信号です。
別になんか思い当たる節がある訳ではないけど、良い傾向ではないなー
今週末の学園祭ではっちゃけて発散しておこう。
注意:以下完全に独断と偏見によります。
なんか虹を聞いてて思ったんですが、最近のJ−POPってobviousな歌詞が多いですよね。
あえて適当な日本語が見つからないんで、英語の表現を使いますが。
言いたい事を全部歌詞にストレートにしちゃって浅いみたいな曲が多いと思います。
良い事言ってるけどそれを直言っちゃうのかー、みたいな
そういう傾向のあるアーティスト(Green、Aqua Times、RADWIMPS、etc...)を支持する大衆文化を形成する今の10代から僕らの世代までが、想像力が比較的欠如した世代って事ではないでしょうか?(論理飛躍w)
ある程度想像の世界で繰り広げられる漫才じゃなくて、動きを伴う一発芸型のお笑いが消費されてるのも顕著な例ですよね。
というのも生まれたころからコンピューターやTVゲーム等にふれ、今まで想像の世界だったところに容易にアクセス・擬似体験を可能にされ想像力を奪われた世代。
周りにある情報が絶対的に多くなり、その中から分かりやすい情報のみを拾ってきた世代。
皆と一緒である事、画一的である事を本質的価値とする類のブーム(ガングロ、ルーズソックス、たまごっちとか)を作ってきた世代。
もっというとせかちゅーとか携帯小説とか。
示唆に富んだような歌詞だと分かんない、ストレートに代弁してくれる歌詞を求める世代。
いわば短絡的な感情の起伏のみを求める為に生成された表現物が受け入れられる時代。
こういう事に関しては僕の尊敬する先輩の方がBLOGで分析しています。
(以下引用)
日本のカルチャーはどんどん上澄みで形成されていってるなー、と思ったり
してる(=哲学がうっすい、ってことね。保守的な意味での。)んだけど、
こういう進化の仕方も、結果としてはかなりアリなんじゃないか、とか。
長く価値観を揺さぶり続けるようなものにはなりえないと思うけど、
その瞬間瞬間では異常なまでの刺激物となりえるんではないかとか…
どんなに恋愛で長く幸せになれても、現代ドラッグの一夜の刺激には
短期的な視点では勝てない、みたいな。(もちろん Vice Versa でもある。)
つまりは複雑な情報は質によらず、複雑である事を条件として排除してしまう。
こういう風潮が認められるなら、きっと10代向けのキャッチコピーや広告戦略なんかも単刀直入な方がいいんだろうな。
これは今の第一戦の広告クリエイターの作品が、必ずしも10代20代の気持ちを完璧掴んだものを安定して作り出せない理由の一つかもなー
こういった安直なものの反動で、より本質的な深い表現物が流行る時代が訪れる事を期待。
Will/Boyz 2 men
J−POPだから一概にダサいみたいなのは間違ってる。
ただ歌い手、つまり表現手法次第なんだよなー別に中島美嘉が悪いとかじゃなくて。
これなんか歌詞すらほぼ全訳やからねw
こういう感じで日本的な表現を海外にむけて再定義するのは素晴らしいと思う。
(どちらかというとこの曲は内向けのプロモーションだろうけど)
まあ良い物は良いって事だよねー

