謹賀新年
2008-01-04
皆さんあけましておめでとうございます。本年も気負わず、自由気ままにツラツラと書き続けたいと思っております。
さて本日、祖父の米寿のお祝いから帰宅しました。
いとこにも久々に会えたし、お年玉も頂けたし、宮崎の広い空の下の広い道を140kmでドライブできたし、宮崎牛等の上手いものを食えたし。
それより何より、祖父が喜んでくれたのが一番。
旅行中、私の祖父が自分の経歴を話してくれました。忘れないうちに書いておこう。
祖父は宮崎の醤油屋に生まれました。地元では有名な店だったようで、戦争中もそれほど貧しくなかったようです。
祖父にも召集令状は来たそうですが、体が弱かったため免除に。これが無ければ今の自分は居なかったのかも。
その後、祖父は地元宮崎の青年団として地元に尽くします。
大学で法学を学んでいた事もあり、就職を考えた祖父は宮崎を出て今は無きそごうに就職し、有楽町そごうの立ち上げに関わります。
そごうで働いた後、宮崎に戻り、今度は観光業に乗り出します。
東京と大阪で培った人脈を活用し宮崎で初の観光ホテルを設立します。
この頃、宮崎牛の美味しさに目をつけて、ただ単に『ステーキ』とあった表記を「宮崎牛のステーキ」と改めました。宮崎牛と言うブランドを確立したのは祖父だったようです。
更に宮崎の観光を主に扱う旅行社を立ち上げ、宮崎のPRも担いました。
この頃はちょうどバブル直前で祖父が最も忙しかった時期のようです。実際、宮崎と芦屋を往復する日々だったよう。
というのも、同時に三宮と大阪に喫茶店をオープン。私の母はこの喫茶店の経営をしていました。
しかしバブル崩壊を期に、旅行業が上手く回らなくなります。
更に追い討ちをかけるように、阪神大震災により三宮の店舗は大損害。
祖父は億単位の負債を抱えました。
この頃から私にも記憶があるのですが、祖父は常々「じいちゃんはなー3億も借金があるんだ。3億も借りれるなんて凄いだろう!!」と言ってました。ネガティブなことでも(しかも相当。普通なら思いつめて病みかねない程の)笑いのネタにしてしまう。この辺りの精神は私にも確かに受け継がれているようです。
祖父の年齢的な問題もあり、ちょうど10年程前に全ての事業を清算し、借金も完済しました。
その後は私の家の近くで悠々自適の老後を送っています。
そんな祖父ですが、現在もただ単にごろごろしている老後ではなく、パソコンにチャレンジしたり、市民講座に通ったりと色々とチャレンジ豊しています。
パソコンに関してはスキャナも持っていて、昔の写真をデータ化して編集したり。バイタリティ豊か。
本当に様々な面で尊敬しています。
戦争でゼロからのスタートだったにも関わらず身一つで現在の暮らを作りあげ、家族5人を養ってきた事。
誰よりも苦労しているにも関わらず、多くの人を巻き込んでチャレンジしし続けてきた事。
そして誰にも責任を押し付けず迷惑もかけず、でも誰よりも人生を楽しんでいる祖父。
老いてなお成長途上。
自分が目指すべき人が身近にいて幸せです。今後もどんどん祖父孝行していきます。

