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「余命1か月の花嫁」というメッセージ
2009-06-01
たまたまスポーツニュースを見ていて、そのまま話題の「余命1か月の花嫁」が放送されていたので、ついつい全部見てしまいました。
(この歌さえ、少し違う聞こえ方がする気がする。)
以前、コンテンツビジネス -「余命1ヶ月の花嫁」-という記事を書いた事もあって興味深く見させていただきました。
簡単にまとめると前回は、啓蒙活動としての「余命1か月の花嫁」と、コンテンツビジネスとしての「余命1か月の花嫁」を対比させて、コンテンツとしての演出や使用法についての違和感を書きました。
で、今回。
映画じゃなく、ドキュメンタリーの方をすべて見てみました。
実際に本人の映像を見ての感想ですが、あの方に直接関わった方々が、あの方の人生をコンテンツビジネスとして見てたり、間違っても利用しようと考えられるとは思えませんでした。
多分、まわりの人はほんまに単純にメッセージを伝えたいという気持ちだけなんだろうなーと。
だとすれば。
本人、そして周りの方々のメッセージを多く伝えたいという意思。
TV局がビジネスの主体である以上存在する、収益をあげるというニーズ。
この2つを実現する為、TV局が介入してのDVD発売や映画化っていうビジネス上の展開は、実はけっこうwin-winで成り立っているのかもしれない。
「よくある泣ける映画になりがってるのでは?」っていう危惧もありました。
けど今ならそれでもいいのかもしれないと、少し肯定的に捉えられる気がします。
「泣ける」って事は、少なくとも何らかのメッセージが刺さってるはずだし。
事実、客層として20~30代の女性及びカップルを集めてるらしいから、そういったコミュニティで乳がんとかに関するコミュニケーションが少しでも発生してるはずで。
ドキュメンタリーとか堅いアプローチで刺さらない層にそういう影響を与える事って、大規模に展開されて泣けるエンターテイメントとして間違いない存在である「余命1か月の花嫁」だからこそのはず。
泣くだけで終わらずに、周りとシェアしたり、実際に検診っていう行動を起こすような人が、一人でも多く生まれればそれでこの映画は成功なんだろうなー。
普段、こういう映画を食わず嫌いで嫌悪感を示すタイプの自分が、少しやけどこうやって真剣に考えただけでも、少しは想いに応えられたのかもしれない。
なんからしくないほど真面目な意見で、自分でも気持ち悪いな。
まあ、いいか。
だからこそ、WEB上に展開されるいらんノイズには腹立つわけですが。
まあ、実際に見た人にはそんな無意味なノイズ以上に、残るものがあるはずですよね。
そう信じたいですね。
自分はああいう状態でカメラの前で気持ちを表現できるだろうか?
いくら伝えたいメッセージがあったとして、自分が死ぬほど苦しんでいる様子を出会って1か月やそこらのカメラマンとかにとらせるか?
多分しないと思う。
どんな気持ちだったのか、自分にはもちろん推し量ることはできない。
だけどそういう決意をしたご本人と、周囲の方々に自分が表現しうる最大限の尊敬の念を示したいと思います。
Live Forever