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町屋で長唄観賞会
2009-06-29
ゼミ形式の授業の一環で長唄を観賞しました。京都の大学らしく、同志社には町屋のキャンパスがあるんですね。
地域コミュニティによる学生支援方策~京町家を拠点にした異世代協同プロジェクト~
普段は地元の小学生とかに講座を開いたりとかしてるそうで。
なんかいいっすねーこういうの特色があって。
卒業までに一度入ってみたかったので、ちょっと嬉しいっす。
今回のテーマは長唄。
同じ流派の動画があったのでのっけとけます。
長唄吉住会代表であり家元7代目吉住小代君様が、わざわざ10人の生徒の為に演奏して、長唄と三味線の手ほどきをしてくれるという豊かな時間でした。
長唄っていうと動画みたいに、とにかく三味線がジャカジャカ前に出てくるイメージやったんやけど、家元のは唄が圧倒的だった。
一言一言の節に気持ちをしっかり込めながら歌うスタイルの音楽なので、それぞれの言葉が凄く映えて、すっと胸に落ちてきます。
文才と感性に欠けるので、なんか感覚的にしか感想が書けませんが。
今まで聞いたことのないタイプの音楽で凄く新鮮でした。
腹の底から、一言づつ大切に発生するので、非常に感情豊かに感じます。
ありきたりな言葉で申し訳ないんですが、凄く感銘をうけました。
こういう日本の伝統文化や芸能に対する理解を少し深めたいなと思う。
10年前くらいにロードアイランド(アメリカ)に1か月ホームステイした時に、お茶のセレモニーにアメリカ人がスタンディングオベーションだったこと。
フィリピンの貧困地区に滞在しながら家作ってた時、ソーラン節を踊ってもみくちゃになるほど盛り上がったこと。
アイルランド留学時、俺のへたくそな折り紙を大事そうに、家族の写真が並ぶ暖炉の上に飾ってくれたこと。
北京大学で先輩が笛で「荒城の月」を吹いて、パーティーの浮ついた空気が変わって、皆が必死に聞き耳を立てていたこと。
ドミニカで移民の方々に「ふるさと」を合唱した時に、皆さんが涙を流して感動してくれたこと。
やっぱりせっかく日本人に生まれたんやから、そういう文化に少しでもいいから関わっていたいと思うなーくさい言葉でいうと、そういうのが言葉の壁を超えるんかもしれないっすね。
いきなり自分に色々できるとは思わないですが、オススメの芝居とかを教えていただいたので、そういうものから少しづつ広げて行けたら、素敵な趣味になりそうやなあ。
授業後、家元とお話する機会があったので日頃から広い意味でのアーティストに対して抱いていた質問をぶつけてみた。
『家元とは、その流派のトップだと思うが、家元になった後は何を目指して日々精進なさるのか?』
という質問。
つまりはその道を極めた人後のモチベーションがどこに向くのか、個人的に凄く興味があった。
『まず一つ。芸の道には終わりがない。』
『二つ。家元という制度は、文化・芸能を確実に時代へと継承していく仕組み。だから家元の責任として、次の家元に技術を伝承すること。そして、こういう機会に次の世代に対して、この文化の存在を見せて、文化を次の時代へと繋いでいくこと。』
芸能を生涯を通して追及していくこと。
その深めた技術を次の世代に受け継ぐことで、月日を経ることで色あせるのではなく、より鮮やかな文化として伝えられていく。
技術の象徴として、家元があるのではなく、次世代への継承の責任者が家元なんですね。
この話は凄く示唆に富んでいると思う。
まだ自分の中でこの言葉を咀嚼できてないから、安易に解釈はせずに、ゆっくりとこの言葉を考えてみます。
オール明けで体調が悪かったんやけど、参加して本当に良かった。
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